大橋の笑いのタネ

(さまぁ〜ず多め)

【消費社会①】ポテチはなぜやめられないのか

テレビをつけるとどの局もCM、という事がよくある大橋。

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(※目を閉じたほうがおいしそうに見えるから目を閉じて飲んでください、と三村さんは指導されたらしい。)

 ああ、なんて素敵な生活。こんな満ち足りた暮らしを送りたい。

 

「ごほうび」化してPR。それをダウンロードする私達

ところでCMで流れる商品は、生活に絶対に必要ではない。もちろん必需品のCMもあるけれど、ほとんどが無くても生きていける商品、「ちょっといい思いをしたい」時に手にする商品だ。

新車、ビール、宝くじ、パチンコ、お菓子、カードローン、ゲーム・・・

 

CMを見ることで、背伸びをすれば手に入れられる幸せ=「ごほうび」のイメージが、自分の中に形づくられる。これをごほうびのダウンロードと呼ぼう。ダウンロードされると、それを実行したいと願う。

ごほうびを実際に手に入れた時は、確かに心を楽しませる商品なので、満足感がある。

 

ごほうびの効果

  • 依存性

一度味わうと、また欲しくなるごほうび。

商品自体に中毒性があることが多く、手に入れるための障害がなければ、際限なく求めてしまう。

例えば、子供から大人になり、社会的にも経済的にも独立したときに、自分の欲求のままに買い込んで満喫した事はないだろうか。

いわゆる大人買い』ってヤツだ。

 

私は、ポテチ一袋を1日で空けるという、今までであれば決して許されない禁断の扉を開けたのが、一人暮らしを始めてからだった。

始めて味わう禁断の幸福。こんなことがいくらでも出来るなんて、と幸せをひとり噛み締めた。

ただそれが毎日続くと、話は別だ。

始めは毎日ごほうびが得られる幸せを感じていたのに、ごほうびが「日常」になる。そうなると元の生活に戻すのは非常に難しい。

禁煙ならぬ、禁ポテチ、禁ゲーム、禁クレジットカード・・・

もともとがごほうびだから、ごほうびを取り上げられる屈辱感、ステータスを失う恐怖がある。周りの目もある。

なかった時に戻るということは、生活のレベルを下げるということ。さらっと手放せる人はあまりいない。

 

  • 経済効果

ごほうびを手に入れられると楽しく、周りの目もあるので、また次のごほうびを探し始める。ごほうびは絶えず更新されるし、私たちはダウンロードを繰り返す。

日本ではずっとこの構造が続いていた。洗濯機に始まり、エアコン、テレビ、電子レンジなどは、登場した時は「ごほうび」だった。いい生活が出来ると夢見させた商品が、今や必需品で、すぐに新商品が出て、そして大量生産、大量消費。

この仕組みが続けば経済が回り、潤う。

 

これを読んでいる大部分の人も、モノ(サービス)を売ることを仕事にしており、そこから発生する給料で生活しているだろう。

私は失職を願っている訳でも、仕事をけなしている訳でもない。

ただちょっとだけでも、本来の「ごほうび」に近づけられないだろうか、と思っている。

 

それは本当にごほうびか

持てる時間の大半をゲームに費やしたり課金を続けたり、

払い切れないのにローンで新車を買ったり、

健康診断の結果に怯えつつ暴飲暴食したり、

・・・それって幸せですか?

 

ごほうびを”非日常”にし続ければいいのだが、手に入れたい気持ちが上回ってブレーキが効かなければ、際限なくごほうびを求め続け、身を滅ぼす事になる。

 

ダメだと分かっちゃいるけど、やめられないんだよね〜

それは当然。あなたを依存させるために、企業が全力で計算して、全力で商品をつくっているからだ。

ごほうびを止めずに求めたら最悪どうなるか。そのごほうびは自分と自分の生活を高めるものなのか。

そろそろ立ち止まって考えてみてもいいんじゃないかと、私は思う。

 

※車については、生活必需品になる地域があると理解しているつもりなので、あえて「新車」と表現しました。それでも気分を悪くされた方がいれば申し訳ないです。