大橋の笑いのタネ

(さまぁ〜ず多め)

【消費社会②】ごほうびを勘違いしているプレミアムフライデー

 たまにはリッチな気分も味わいたい大橋。

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☆おさらい☆

むかし、「ごほうび」という中毒性があるプログラムは、一方的に企業から提供され、末端の消費者は「ごほうび」をダウンロードしまくっていました。

 

 ごほうびをダウンロードしなくなった消費者

 ここ最近は、既存のごほうびの構造が崩れているように思う。あえて質素な生活を提案している人が多くいらっしゃいませんか?質素な、というより健康的な、技術の発展に逆らうような生活。

 

外食より自分で料理

自然素材

無添加

ものを持たない

 

彼らはもう「ごほうび」をダウンロードしていない。自分にとっての幸せは何なのかを理解している。

そして、この「ごほうびをダウンロードしない消費者」を企業は無視できなくなっている。”糖質カット"とか"〇〇100%"とか"肌にやさしい"とか、彼らの生活に合わせた商品も展開するようになった。

これは、ごほうびの概念が企業にアップロードされているということだ。わたしたちが本当に嬉しいものはこういうものです、が企業に伝わっている。

 

ネットがなければこんな状況は起こりえなかった。テレビだったらどうしても情報は一方通行になる。テレビ局もスポンサー関係があるので、消費行動をあおる番組を作らなければいけないのだろう。

その点、ネットであればある程度、企業からは離れた視点で情報を発信することが出来る。「あ、それ、なくても大丈夫です」と言える。

 

消費社会からの脱却

企業が提案するごほうびを消費者がダウンロードしなくなれば、経済的には終わりなのかもしれない。アップロードされたものを再度商品化していく道筋はあるが、新しいものを次々に買ってもらわなければ、仕事は無くなるし、給料も減るし、経済が停滞する。それはよくない。

 

だが、大量消費で維持される繁栄って、よい形の社会なんだろうか。

 

”日常”でみんながそこそこ幸せになる事はないのだろうか。

 

経済は成長し続けることが出来るのか。

 

宇宙は広がり続けているというが、経済のカラクリは宇宙と同じなのか。

(バブルが歴史上何度も起こっているが、丁寧に膨らませれば大きくなり続けるのだろうか)

 

 ・・・・・

 

私たちはもう「そんなにいらない」ことを知っている。

 

 

ごほうびを勘違いすると政策もうまくいかない

政府と経団連主導でプレミアムフライデーが始まったが、

疲れているので帰って寝ます(・ω・)ノ ではお上は喜ばないだろう。消費者にお金を使ってもらってお金のまわりを良くしたいという考えを、なぜかまったく隠そうとしないですね。

これ買ってください!じゃなくて、これはあなたの生活をこんなに良くしますよ~、というスタンスでPRするのが営業の極意ではないのか・・・経団連よ。

 

どっちにしろ、私たち消費者にとって、プレミアムフライデーは魅力を感じるような「ごほうび」にはなっていない。いくらプレミアって言っても素直にダウンロードされないのだ。

残業があるから、とか、給料が低いから、とか、いろいろ問題は指摘されている。

が、万が一、何かの間違いで会社が午後3時で終わったとしても、お金があったとしても、おそらく「ダウンロードしない消費者」は、週明けに備えて仕事を片付けたり、趣味の時間にあてたり、ゆっくり自分の時間を過ごしたりする。

商品やサービスに魅力がないから企業努力が必要、という話でもない。時間とお金をわざわざ費やしてまで特別「何かを消費する時間」が欲しいとは思わなくなっているのだ。

 

 【まとめ】

一方的に「ごほうび」化すれば素直にダウンロードされ、消費される時代は終わっている。

お上や企業は、消費者が思う「ごほうび」をきちんとアップロードして、修正して再度提示してみて、そうやって双方向でのやり取りを続けていけば、多くの人が望む、良い形のごほうびに近づくのだと思う。