子供の頃読んだ本ー『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間』
子供の頃は、こんなに涙もろくなかった気がする。
確かに子供の私も感動し、だからこそ今、また読んでみようと思ったわけだが、大人になった自分にこんなに刺さってくるとは。常に目が潤み、ページをめくるごとに涙をこぼす。
『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間(とき)』青木和雄
対象年齢は小学校高学年から中学校。夏休みの課題図書になっていたようだが、私は課題としてではなく、図書館で手に取った。
愛されること、しあわせだということ
あすかは11歳。母親とはどうも相性が悪い。自分の誕生日を忘れられた夜、「あすかなんて、生まなければよかった」と母が言うのを聞いてしまい、そこから声が出せなくなってしまう。
最初にあすかの味方になってくれたのが、当時の担任の橋本先生。
この橋本先生は若い女の先生で、ほんとうにいい心の持ち主である。
「先生、しあわせですか」「どうして愛されていると感じるの?」とあすかに(筆談で)問われた橋本先生は、真剣に答えを考える。
橋本先生の答えが出る前に、あすかは泣く。
ーーこんなふうに、ママと話してみたかった。
ーーあすかがふしぎと思うこと、知りたいと思うこと。
ーー橋本先生のように、ママにも考えてほしかった。
ーーだれかといっしょに考えることって、なんてドキドキすることなんだろう。
ーーなんて心がふるえることなんだろう・・・。
この一節を読んだとき、最近の自分の間違いに気がついた。
日々私は、優れた答えを出そう、気の利いた事を言おう、と頑張っている。
冗談や刹那的な楽しみをいっしょに味わう人達は、いればいるだけ楽しくなる気がするけれど、立ち止まった時に虚しくなることがある。
目の前の人の心を、もっと一生懸命に聞こう。相手の心がどんな時にどう動くのか、私はどうか。気恥ずかしいけれど、そうやって通い合わせた心の結びつきこそが、私を幸せにするはず。
傘をさしてあげよう
この物語の中であすかを傷つける人間は、嫌な所を持ちつつ、どこか不安定な存在として描かれる。もちろん母も、「おまえ生まれてこなきゃよかったよな」と言った兄も、いじめられっ子の順子も。
どこかで幸せではなく、そうした悩み苦しみを、弱いだれかを傷つけて癒している。完全な悪ではなく、理由があってそうなっている。
だからあすかの心と言葉に触れて、ある時に気がつき、考えと行動を修正していく。
自分が幸せでないと、弱いものいじめに向かう事って結構多い。私だってその衝動にかられてしまう。
そんな時には思い出したい一節がある。
授業参加での、順子の父の発言だ。
だけどさ、わかってもらいてえんだよ。人生ってのは、照る日、くもる日がある。
どしゃぶりの雨だって降るときはあるんだよ。そんときはさ、ぬれているのを指さして笑うんじゃなくてさ、傘をさしかけてやる度量っていうか、優しさもさ、ほしいってことをな。人間なんだからさ、大事なことなんじゃねえかなと思うんだな。
雨にぬれている人を笑うのではなく、傘をさしてあげる。
傘をさす人については、最近は人材不足ですね。求人倍率高いです。
代わりに多いのが、雨に濡れている人に好き勝手な事を言う人。雨に濡れるのは自己責任、と結論つければ自分は何もしなくていいですから。
言う事は
なぜ傘を持って行かなかったの?
雨が降ると知らなかったの?
びしょぬれになったのはあなたが準備してなかったからですよね
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もういいです。言っていることは至極真っ当ですが、今更なんの役にも立たないし、面白くもない。
にわか雨って、降るもんですよね。ただ、傘を差してあげればいいじゃないですか。そういう事あるよね、と言ってあげればいいじゃないですか。
人生は、照る時もあれば、雨が降る時もある。
あすかの物語も、最後にはぴかぴか照っている。みんなが集まった誕生日会。
ふたつのケーキ。(ふたつある理由は、読んだら分かります)
そして、「お誕生日おめでとう。生まれてきてよかった」と言われるのだ。
その言葉がどんなに嬉しいか。あすかの心を想うと涙が止まらない。
あすかが立ち直るだけ、で終わる物語ではない。あすかを傷つけた人の心も救わなければ、ほんとうの解決ではないから。そこまで描いている驚きの児童書だ。
子供が傷つけられた。
そんなニュースがあふれています。
「子供がかわいそう」「そんな事する奴がおかしい」
確かにそうなのですが、それで終わらせていいのでしょうか。立場が弱い子供に、自分の不幸や苦しみを向けてしまうのが人間です。
ほんとうの解決ができるように、考えて行かねばなりません。