わたしは何に従っているのかー上司と椅子ー
いつもいつも4コマ目の状況になってから、あ、ここは鎌倉時代だったのだ、と思う。
組織を構成するもの
今までいろんな組織に属して来た。はじめは周りの人のすばらしさと、そこに所属できている喜びを感じる。毎日みんなに会える嬉しさでうきうきするくらいだ。
就職活動のひとつの指標として「会社の雰囲気」もしくは「企業風土」があると思う。
私もけっこう雰囲気を重視して探し、決めて来た。
だが、時間が経つと周りの構成員が変化する。人事異動、もしくは退職だ。特に上司が代わると影響は大きい。
雰囲気が変わってしまう。
そうすると思うのだ。私は前の人たちが好きだったからここに来た訳だし、前の上司に従っていた訳で、上司ポジションに従っていた訳ではない。
上司が座っていた椅子に違う人を座らせて「さあ、新しい上司だよ」と言われても、素直に従えないのだ。
椅子ではなく、人に従う。
これはまさに、鎌倉時代的な状況ではないか。
鎌倉幕府の主従関係について
はじめは、頼朝と、頼朝のカリスマ性についていく武士たちとの主従関係で鎌倉幕府は成り立っていた。
頼朝がいなくなった後、後継を誰が担うかでごたごたする。考察は様々あるし、仮に当時に身を置いていたとしても、人々の思惑と因果関係は明確に断定できない。
ただひとつ、武士たちの気持ちで確かにあっただろうもの。
「頼朝様だからついてきたのだ」
頼朝がいなくなった時、武士たちに迷いが生じる。自分はこれから何に従えば良いのか。
頼朝様の息子か。
家臣が話し合って出した結論か。
「将軍」という椅子に素直に従えなかった事は、史実により推測できる。
争いの末、いちおう決まった後継者に納得できない者が現れ、暗殺し、暗殺され、ごたごた繰り返される。ついに、頼朝様の血を引く者はいなくなる。
カリスマの喪失は、組織にとって痛い。
この混乱を見て、さらに外部から仕掛けられる。会社で言えば、競合他社に出し抜かれると言ったところか。
ちなみに外部からの攻撃には結束して戦うが、内部からの崩壊には弱いのが、鎌倉時代だ。
上司に求めているもの
「朝礼暮改も、カリスマじゃなきゃ通用しないよ」
海に向かって叫びたいくらいだ。
あ、決して「カリスマ上司になろう」とは思わないでほしい。
上司があるべき姿。
それは、公平性を保つということ。一時の感情に委ねずに、芯を持って行動し判断する。そしてなるべくブレない。
そうすると部下は安心して動く事ができる。従わせるのでは無く、部下が自然と上司の価値観に沿って行動するはずだ。御成敗式目のような、組織としての基準が定められていれば、もっとやりやすい。上司が交代しても大きな混乱なく組織が運営される。だが、組織として体系的に基準が決まっているのは、ある程度大きくなった企業か、公務員くらいだと思う。
わたしは何に従うべきか
おそらく、社会人としては「椅子」に従うべきという結論になる。
上司が代わるごとにモチベーションを下げたり上げたり、組織から離れる事を計画してはいけないからだ。
だが私は、そう割り切る事が出来ない。
上司も上司で、まずは自分という人間について来てほしいだろう。
それが何かのきっかけー自信がなくなったり、折り合いが悪かったりーすると、「椅子」があるから従うべき、に変わる。
基本的には人に従う、でいいと思う。ただ、自分が忠誠を誓った相手は変わるかもしれない、居なくなるかもしれない。「会社の雰囲気」で就職先を決めるのであれば「雰囲気は変わる」。「あこがれの先輩」もいずれは居なくなると念頭に置いておいたほうがいい。
従っていたご主人様がいなくなったその後は、「椅子」に従う覚悟があるのか、考えておこう。
それにしても「自分はカリスマだから大丈夫」と思っている上司が多すぎやしないか・・・