大橋の笑いのタネ

(さまぁ〜ず多め)

子供の頃読んだ本『だれも知らない小さな国』佐藤さとる

そういえば、この物語の主人公は子供ではない。これって、結構めずらしいのではないか。

 

『誰も知らない小さな国』佐藤さとる

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1  (講談社青い鳥文庫 18-1)
 

 

小山にひとりで遊びに来ていた「ぼく」は、野菜売りのおばあさんから、小山に伝わる“こぼしさま”の話を教えてもらう。

“こぼしさま”は小指よりも小さな人で、すばしっこくてイタズラ好き。

「ぼく」は“こぼしさま”に心うばわれ、いつか小山を自分のものにしたい、という夢を持つ。

 

ファンタジーで終わらせないファンタジー

普通であれば子供の「ぼく」と“こぼしさま”が出会って、不思議な体験をする、という展開だろうが、『だれも知らない小さな国』はちがう。

子供の「ぼく」が“こぼしさま”を目撃したのはたった一度だけ。その後「ぼく」は引っ越しにより小山から離れ、やがて戦争になる。

戦時中の描写はわずか10行。だが、大人になったからだろうか、今読むとこの数行にどっきりさせられる。

毎日が苦しいことばかりだったが、また底ぬけにたのしかったような気もする。家が焼けたことを、まるでとくいになって話しあったり、小型の飛行機に追いまわされて、バリバリうたれたりするのが、おもしろくてたまらなかったりした。これは命がけのおにごっこだったが、中にはおににつかまってしまう、運のわるい友だちも何人かあった。いまになってみれば、ぞっとする話だ。

これはただのファンタジーではない、と強烈に感じさせる。

 

終戦を迎え、再び「ぼく」と”こぼしさま“との物語がはじまる。大人になった「ぼく」の前に、いよいよ姿を表した“こぼしさま”。今度は「ぼく」としっかり目を合わせ、会話をする。
ここに至るまでの描写が長いので、やっと来た!とワクワクが止まらない。

 

ちなみに「ぼく」が調べ、本人達に確認をとった結果、”こぼしさま“はアイヌに伝わるコロボックルと同じ小人族であると結論づけられる。

この”こぼしさま“改め“コロボックル”の描写がかわいい!

変装のためにアマガエルの皮を着るとか、とても早口で人間が聴くと「ルルルル」と聞こえる、とかがツボ。

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なぜ、コロボックルは大人になった「ぼく」に接触してきたのか。

それは、コロボックルの協力者になってほしいから。

古い言い伝えが忘れられ、生活が脅かされることを危惧していたコロボックル。自分たちを捕まえたり、利用したりしない人間に小山を所有してほしいと願っていたのだ。

なるほど。それでは子供と仲良くなるだけでは意味がない。山を買えるのは大人だ。コロボックルもお遊びじゃなく、生活をかけているとわかる。

 

現実を打開する方法としてのファンタジー

やがて危惧していたことが起こる。村に有料道路をつくる計画が進んでいたのだ。道路の通り道には、コロボックルが暮らしている小山がある。

 

小山を守るために「ぼく」は、いたずら好きのコロボックルにぴったりの方法を考えつく。この方法がまたツボ。

児童書だし、正攻法で人々の良心に働きかけてもよさそうなのに、ここでコロボックルの出番というところが。でも理にかなっていて、誰も傷つけずに解決出来る。やっぱりファンタジーってすごい。

 

一度大人達で決めた計画を覆す難しさ、そこから流れが変わっていく描写がすばらしい。

はじめは、反対する人はだれもいない状態。コロボックルの活動により、村の人の中から少しずつ反対者が出てくる。ただ、村の人の意見が変わっても計画は止まらない。

はじめのうちは、せっかくの村の人の願いも、まったくむだだったような気配だった。

役所にしてみれば、一度きまったことを、そんな一部の人たちの反対だけで、すこしでもかえたくなかったにちがいない。あらためて通り道を考えなおすとすれば、よぶんな人手もかかるし、時間もかかる。むろんお金もかかる。

そのくらいだったら、反対した村の人たちがしょうちするまで、ゆっくりこしをすえ、なんとか、いままでどおりの計画を進めたいというつもりのようだった。

だからコロボックルは、役所の人たちや、“びっくりするくらい遠くの人“にまで働きかける。

やがてーー。

小さな希望の火がぽつりとともった。

土地の新聞が、この問題をとりあげてくれたのだ。村の人のいいぶんと、役所のいいぶんをならべたうえで、役所は手間をおしまずに、思いきって計画の一部を練りなおしたらどうか、といっていた。

これがきっかけになって、役所の中にも、ぼつぼつ同じような意見をもつ人が出てきた。そして、ふしぎなことに、二、三人そういう人が出たあとは、同じ考えの人が、どんどんふえていった。

 みんなが、「じつは、わたしもそのほうがいいかもしれないと思っていたんですがね。」などといって、計画をかえることにさんせいしはじめたのだ。 

どうですか。子供のときにこの文章を読むってすごくないですか。

二、三人そういう人が出たあとは、同じ考えの人が、どんどんふえていった。

ここですよ。

 

一度始まったものを終わらせたり、一度決まったものを覆すのは本当に大変です。

物事がすすんでいると、心の奥底の思いに蓋をするんですね。でも流れを遮ってだれかが声をあげると、自分も実はそう思っていた、と主張できるようになります。

 

むしろこうかもしれません。

そもそもどっちでもよかった。
だいたいの問題は、どちらの立場でもメリットデメリット両方持っています。

自分の中ではどちらがいいかが決まらなくて、流れに合わせて、発表する主張をとり出す。流れの向かう方が自分の考えになる。

「実は前からそう思っていた」と言うのは、その通りなのです。

こういう人いっぱいいますよね。「絶対思ってなかっただろ」とムカっときますが、嘘をついているわけではないかもしれません。

そういう人が多いから、流れをつくったものが勝つ。

 

ここまで子供は読めないでしょう。私も今回読んでみて以上のことを思ったまでです。が、子供の頃にこの物語に触れておくのは意味がある。

 

やっぱり『だれも知らない小さな国』の魅力は、コロボックルが実は周りにいるのではないかと思わせるリアリティで、コロボックルが姿を見せてくれるような心を持った人間になろう、と思わせる描き方です。

でも実はファンタジーだけではなく、人間の良くないところや、社会のしくみを説明しています。

 

大人になったあなた。いま読んでみるとびっくり、どっきりします。

もう一度、読んでみませんか。