恋は盲目。ファンの分析
またまた過去のさまぁ〜ず×さまぁ〜ずの話なのだが、2016/9/16の回で、夏休みを海外で過ごした時のエピソードをふたりが話していた。
ハワイらしきところに行った三村さん。
オリンピックやってるかなーとテレビ見たら、やってない。50チャンネルくらいあるのにそのうち1チャンネルしかやってない。
それで競泳を見てて、萩野公介選手がすごいとは聞いていたので、見れるかなーと思っていたら。
「あ、萩野選手かな?」と思った瞬間に、ギュンってマイケル・フェルプスがアップにされちゃう。結局、萩野選手の活躍があまり見れなかったそう。
国が違えば見る映像も違う
日本では萩野公介選手がすげークローズアップされていたけれど、海外では当たり前に違う。というか今ネットでマイケル・フェルプスを調べて、初めてオリンピック史上に残るすごい人だと知った。むしろ日本では水の怪物:フェルプスについて何か触れてた?
大竹さんが、「日本人が出てない競技はつなぎの試合」と呼んでいたように(三村さんの「選手はそこに命かけてやってるんだよ!」と突っ込みあり)、
似非オリンピックファンは興味がない試合には注目しない。興味がない試合とは、自国の選手が出場してなかったり、活躍が期待されなかったりする試合だ。チャンネルが変えられてしまうから、テレビ局はそもそも中継しなかったりする。
オリンピックで起こっているすべてを伝えることは出来ないから、それぞれの国の報道媒体が、自国で人気がある競技や選手をクローズアップして伝える。
クローズアップするという事は、周りにいるすごい人や出来事、全体像が霞むということ。
視野が狭くなる幸福
じゃあ、起こったことを客観的に淡々と伝えればいいのか、自国の選手を応援してはいけないのか、という話ではない。
そこ出身の選手をクローズアップして、一体感を味わうのも幸せだ。それがオリンピックで、W杯で、Jリーグで、甲子園だ。
自分と同じ日本、自分と同じ都道府県、自分と同じ学校から出たスポーツ選手を応援するのは楽しい。勝てば嬉しいし、努力を褒められれば誇りに思う。
試合のときは、私たちは「ファン」になっている。
スポーツに限らず、ファンは「あの人が好き!」の気持ちが熱を帯びるほど「他者はすごくない」に結び付きやすい。好いているがあまり、他を蹴落としてしまう。いや、他を蹴落とさないと応援しているあの人の良さが実感できないのか、どっちか。
好きな人をギュンっとクローズアップして、他のものと客観的に比べて見ることがない。
フェルプスを見逃したり、フィギュアスケーターの鈴木明子を「鈴木明子ごとき」と言ってしまったりする。
これはいよいよ恋なのだな、と思う。
どれだけ周りから他の情報が入ってこようと、どんなことを言われようと、好きな人だけを見ている。恋をされている方からすると迷惑な話だが、恋をしている方は、幸せだ。
恋が冷めるときには恥ずかしくなるのだろうが。
望ましい恋の仕方
たまに、「羽生結弦が好きで、フィギュアにはまった」とか言う人もいる。
その人の趣味や生活を真似してみたり、付き合いのある人の事も好きになったり。
そういう恋の仕方は非常に好ましい。
好きになったものから、関連した事象が自分の中に入っていく感じ。
アンテナが立ったから、電波を拾えるようになる感じ。
恋の対象物をクローズアップして見つめるよりも、
恋をきっかけとして、自分の感度が上がるような恋の仕方が望ましい。
そういうファンに、私はなりたい。
「タバコの時間」とは何か。喫煙者の世界を理解したい。
喫煙者=カッコイイ ではなく、
カッコイイ人に+オプションとしてのタバコ、だと思う大橋。
外から見る喫煙者について
タバコを吸ったことがない私は、今まで喫煙者の事を特に考えてこなかった。
周りの人達はそもそも非喫煙者だったり、自分の車の中でだけ吸っていたりで、タバコは私にとってはどこか遠い存在だった。
だから喫煙者のイメージとしては、家族に追い出され夜中に玄関の前で一服しているホタル族や、狭い喫煙スペースにぎゅうぎゅうでひたすらタバコ吸っているおじさん達で、「なんかかわいそう」とは思うものの、特に理解しようとは思わなかった。
が、なぜか最近出会う人はがっつり喫煙者。
いくらタバコの値段が上がっても、禁煙ブームで肩身が狭くなっても、止める気配がない。
いっそ潔く思える喫煙者。
最近は数人が集まってタバコを吸っているのを見ると、「なんかいいな」と思っている自分がいる。タバコ吸いながらボソボソ喋っていると、なんだか人生についてとか、世界を変えるような素敵な話をしているように見える。
それに、喫煙者同士はすぐ仲良くなるのだ。喫煙スペースでしか出来ない話が繰り広げられているに違いない。
羨ましい。
タバコを吸わない私は輪の中に入れず、あくまでも外部の人間として接触できるのみ。
タバコの時間とは何か。
ずっと前の『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』で、詳細は覚えていないが、確か三村さんが以下のような事を言っていた。
タバコ吸ってる時間は休憩時間じゃないよ!
と。
仕事してる時間、休憩時間、タバコの時間。
それぞれ別なんだそうだ。
非喫煙者にとってはどうも理解出来ない。
ただでさえタバコ休憩はずるい、喫煙者は休憩時間が長いと思っているくらいなのに、「タバコの時間」てなんだよ( ゚д゚)))
三村さんだけじゃないのか、とそのときは思った。だが、確かに
というやり取りを何度かしている。
タバコの時間に仕事の話を持ち出すと、無慈悲にタバコは消されてしまうのだ。
●非喫煙者の論理
決められた休憩の時間ならば仕事の話はいったんしない。仕事モードの相手なら、資料とか用意して「今お時間いいですか」とお伺いします。
タバコを吸っている時間は、非喫煙者にはない時間な訳で、「いや、休憩時間でしょ!」と言いたくなる気持ちに気づかないふりをしているので、せめて仕事と休憩の間に位置づけられてもいいんじゃないかと思っている。
タバコの時間は「準・休憩時間」。ちょっとした仕事の話をしていい時間。
タバコ吸いながら軽く聞いてくれればいいと思っているので、話しかけたとたんにタバコの火を消されると、結構慌ててしまう。なんだか楽しみを邪魔する面白くない奴になった気持ちだ。
ここに喫煙者と非喫煙者の「タバコの時間」に対する認識の違いがある。
「タバコの時間」を非喫煙者は理解することが出来るのか。
喫煙者がどう「タバコの時間」を過ごし、どういう心境でタバコの火を消すのか、突き詰めて訊いてみたい。
もしかしたら最近の禁煙ブームで、向こうの方が気をつかって消してくれているのかもしれない。仕事しろって思っているかもしれない、と、思われているのかもしれない。
喫煙者の気持ちを本当に理解することは、私にはできないのだろうか。
何かに例えることはできないのかな?
トイレの個室にいるときに話しかけられる状況と似ているとか?
誰か教えてほしい!!
けれど、訊いたら「タバコ止めろっていう事か!」と喫煙者を追い詰めそうなので聞けない。何気に繊細ですからね、喫煙者は。
とりあえず、喫煙者と共存するためには
「喫煙者は仕事の時間とタバコの時間、休憩時間をきっちりと分ける。」
という三村さんの言葉を胸に、もう二度とタバコの時間を侵害しないように気を付けようと思う。
ハトと私と春と。
どうも、大橋です。
ひとりで過ごしていると、些細なことで嬉しくなったりします。
※エサを待っているだけ。
ハトの熱い視線が、私に向けられている。むず痒い。こんなに注目されるのは久しぶりだ。期待に応えたい!
だが、パン屑を落とせば、たちまちハト達の興味はパン屑に向いてしまい、私の事はどうでもよくなってしまう。
そう、私のことを一心に見つめてくるのは、私がパンを持っているからなのだ。
パンを持っていない私には、特に興味がない。悲しいけれどそんな事は分かっている。
それでも、今この瞬間の熱い視線を独占したい。私の事を見てくれていると思いたい。
だから私は、パン屑を落とさないようにパンを食べる。
そんな春。
テスト勉強は役に立つ~今だから言えること
どうも。大橋です。
4月になり、新年度がスタートしましたね。
桜を見ると、学生のころを思い出します。
桜の下のクラス写真。新しい仲間と探り探り会話する時間。わくわくする気持ち。
次第になれ合い、同じことの繰り返しになっていくのですが。
テストに疑問を抱くとき
学生時代って、特に受験の学年は「テスト前」「テスト中」「テスト後」で成り立っています。
テストとは、勉強したことが身についているか確認するために行われるものです(言っててちょっと恥ずかしい)。
なんのために頑張るかと言ったら、いい点数をとるため。答えはこれに集約されます。いい点を取ったらいい学校に入れる。いい学校に入ったらいい会社に入れる。
だけどそれだけなのか?
「いい学校に入らなくてもいい!いい会社に入らなくても幸せ!だから勉強しなくてもいいでしょう?テストでいい点とらなくてもいいでしょう??」
こう考えちゃう人、結構好きです。
が、いい学校に入らない場合も、普通の会社に入るにしても、やはり勉強やテストって大事だと今は思うので、説明してみます。
人生におけるテストとは
ラストではなく、テストです。
みなさん、こんなやりとりをした事ないですか?
これ、モテるための極意ですね(笑)
誕生日を祝うためには
①前提条件・・・相手の誕生日を覚えておく
②気持ち・・・喜んでほしいと思う
③お金・・・プレゼントを買うためのお金
が必要です。
②の気持ちと③のお金は持っていても、どうしても①の前提条件を忘れてしまい、悲劇が起こることは結構多いですよね。
この、①の前提条件が必要なときこそ、テストされる瞬間です!!
人生におけるテストとは、相手の誕生日です。出身地の話になったときです。いっしょに食事に行く店を決めるときです。
老若男女問わず、自分の情報や会話の内容を覚えられてると、興味を持ってくれてるんだ!と嬉しくなりますよね。(関係によってはこいつ気持ち悪い…ストーカーか?って思われる場合もあり)
逆に何度も会ってるのに名前も覚えてもらえない、基本情報を何度も聞かれちゃう、だと、ああ自分は相手にとって重要な人物じゃないんだ…と悲しくなります。
こうなると、テストは不合格となります。しかも人生のテストには追試はありません。信用を無くすだけです。
テストで合格点をとるためには
得意な教科と同じように、もともと好きな人なら自然に覚えちゃうと思います。でも誰でも彼でも覚えられる訳はない。
けれど最低限、周りの人にいい気持ちでいてもらい、自分の味方を増やすためには、基本情報は覚えていたほうがいい。
そしたらどうするか?と言ったら、何度も復習しておくしかないんです。
社会人なら、取引先の情報を手帳に残しておく人もいますよね。ハウツー本にも会話の中で何度も名前を呼んで復習するなど、覚える工夫がたくさんあります。
結局、関係が切れたら忘れていくんですけど、関係が続いている間は、覚えている事が最強の武器だったりします。
テストの意義とは
テストとは、力が試されるその瞬間と、そこまでの準備過程に意味がある。
そして、ちゃんと力が発揮できる人をやっぱり人は評価するし、合格点が取れない人は相手を失望させる。(興味ないのかな、私は重要人物じゃないのかな…と)
人生におけるテストで合格点を出す人は、プライベートも仕事も充実しているのだと思います。
今まさに学生やってる人は、何でこんなこと必死でやらなきゃいけないんだろうと思う瞬間が来るかもしれません。
学ぶ内容は将来直接は使わないかもしれないけど、少なくともテストに備えて勉強するその過程は、決して無駄ではない。
テストを制するものは、人生も制する。
・・・私も人生のテスト頑張ります。
単位を変換すると伝わりやすさが変わります、という話。
単位を揃えないと話のインパクトがなくなってしまう。
どうも、大橋です。
11/27のモヤさまは京都をぶらぶらする回でした。
宇治の界隈に外国人のお茶屋さんがいて、流れで高級抹茶とお手頃抹茶を飲んであてる『利き抹茶大会』が開催されることに。
ぱっと見て、どっちが高級なのか分かりますか?
気になったので計算してみました。
《正攻法》
前者の抹茶をA、後者の抹茶をBとする。
Aは「1㎏で8万円」
1㎏は1,000g なので
1,000gで80,000円
1g=80円
Bは「40gで2000円」
1g=2000÷40 で50円
(結論)
Aは1g80円、Bは1g50円となり、AよりBの方が安い。
...あれ??
《別解》
前者の抹茶をA、後者の抹茶をBとする。
Bは40gで2000円
10gなら2000÷4で500円になるから
仮にBを1㎏買ったら
500円の100倍で50,000円
(結論)Aは1㎏8万円、Bは1㎏5万円となり、AよりBの方が安い。
...うーん。答えは出たけど、
Aが高級!!((((;゚Д゚)))))))てなるような違いじゃない気が。
抹茶の価格について調べてみましたが、だいたいお茶缶が30〜40gで売られているので、Aは1㎏じゃなくて、100gだったのではないか?と思ったりして。
どっちにしろ、さまぁ~ずが言うように同じグラムに揃えて提示しないと、どっちが高いかすら瞬時には分からない。
今回は計算してみても、すげー!ってなる違いではなかった訳だけれど、
本当はすごい違いなのに、単位の使い方が良くなくて、しっかりと相手に伝わらない。そんなことってよくあるんだと思う。
東京中心の単位変換が多い件について
ずっとイライラしている事があります。それは
「東京ドーム〇個分の広さ」とか「山の手線一周分の距離」とか、
東京主体の単位換算が多くないか??ということ。
「なんと!!東京ドーム25個分の広さなんです!!!」とドヤ顔されても「ああ、ふーん・・・」とテンション下がります。
『いや、東京ドーム行ったことないし、山手線を一周してみたことがないですよ!』と思わず口から出そうな心の声を懸命におさえてます。
いかに大きいか、いかに遠いかを伝えるために、そのまま㎡やkmであらわすよりはイメージしやすいと思って使っているのだろうけど、東京ドームや山手線でイメージできない人もいることを分かってほしい。
そういう「うーん、なんだかな・・・」な例えを使っているのは、テレビに多いですね。
では、何に例えればよいのか?少なくとも日本に住んでいる人たちが共通の認識を持てるものってなんだろう?と考えてみた。
①都道府県
「香川県よりちっちゃい」とかはイメージしにくいにしろ、許せる。
「北海道より大きい」も許せる。だってさんざん日本地図見てきているからね。暮らしてなくても行ったことなくても、ある程度常識になっている。
ただ「奄美大島と同じ大きさのシンガポール」とか言われちゃうと、「いや、行ったことないっす(シャットダウン)」てなっちゃう。
許容範囲は都道府県まで、市町村や23区になるとNG。
子供の時にやったことがあるスポーツの競技場であれば、大体の大きさは分かると思われる。上記のスポーツはほぼ必修だ。100メートルなんて、何度全速力で走ったか。2キロはマラソンするとそろそろヤバい距離、とかの実感がある。
でも大人になってからの100メートルって、子供のころの100メートルとは違うのかもしれないとふと思う。スポーツも大人になるとやらなくなるから、感覚が少しずれているかもしれない。
③芸能人の豪邸〇個分
全然イメージつきません。つきませんが許せる。
笑いがあればOK
結論:相手がどんな単位を持っているか考えよう。
ここまで考えてみると、絶対伝わる単位ってとても少ないのかもしれない。
自分が見たり経験したりしたものの大きさは、相手もイメージとして持っているとは限らない。相手に合わせきるのでなくても、「違うかもしれない」前提を持っているだけで、会話はだいぶ違うものになる。
「アキレス腱切ったときくらい痛い」と言われたら、経験してなくても「え!?何をして切ったの?どうなったの?」と興味がわきます。
「これと比べれば、あなたでもわかるでしょ」的な雰囲気を感じると、「いや、見たことないっす(シャットダウン)」になってしまうから、
逆に振り切って「これと同じくらい!!」「いや、見たことないけど、どのくらい(笑)?」にしたほうが、うまくいくのかもしれませんね。
狩野アナを見てたら、不協和音っていいなと思える。卒業おめでとう!
ついにモヤさま2代目アシスタントの狩野アナウンサーが番組を卒業しました。
ラスト回は、狩野アナのさまぁ~ず2人への愛、番組への愛がじーんと伝わってきたし、さまぁ~ず2人も狩野アナが好きなんだな、と伝わる場面が多々ありました。
狩野アナが涙もろくてほっこりします。
泣かないように頑張っているところもかわいいですね。
三村さんも大竹さんも、「これで最後」「最後だから」と狩野アナを泣かせにかかる。
女の子の泣き顔が見たいおじさん達(笑)
狩野アナはさまぁ~ずや番組スタッフにとって予想外のリアクションや名場面をたくさん残してきたんですよね。
私も今までいろんな人に出会ってきたけれど、
こんな反応が返ってくるだろう、と思ってアクションを起こして、予想内のリアクションだったら安心するし、気が合うなぁ、居心地がいいなぁ、と思う。
反対に予想外のリアクションが返ってきたら、「えっと、どうしよっか」「そうじゃないんだけどなー」と居心地が悪い感じになる。
だけどそれで終わりにしたら勿体なくて、こうしたらどう来る?この人の世界観はどうなっているんだ?ってごちゃごちゃ考えさせられたりかみ合わない感じが楽しかったりする。
さまぁ~ず2人も最初はムムム顔して居心地悪そうだったけど、次第に狩野アナの奇想天外な動きを面白がってた気がする。
この感覚って、不協和音に近いんじゃないのかと思った。
ぶつかり合う音が音楽のストーリーを展開したり、ドラマティックにしたりする。
不協和音は全然悪いものじゃない。不協和音はエネルギーがある。
大江アナは協和音で、狩野アナへの展開で不協和音になった。
モヤさまという長寿番組を展開していくためには、絶対に狩野アナが必要だった。
狩野アナ、いろいろ悩んできたみたいですが、今までお疲れさまでした!
モヤモヤさまぁ~ず2 大江アナ卒業記念スペシャル 鎌倉&ニューヨーク ディレクターズ・カット版 [DVD]
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2013年10/6モヤさまinLA~クロナッツ~
引き続きですが、3年前の横浜&LAスペシャルは、すごくおもしろかった!!
三村さん(大竹さんかも)が、ごはん屋さん見つけて
「すげーおいしそうなちょうちん!」
って言ったり。
スケート初心者でも出来る技を頼んだのに、見本で先生がダブルトゥーループを2回やって『無理。』ってなったり。
今度はLA編。
何気ない瞬間が好きなので、
ホントなんでもないことなんですが、
・・・好きなんです!
クロワッサンとドーナツを合わせたクロナッツを食べる三村さん。
オレの◯◯味だよー!って言いたかったね・・・
三村さん、どんまい!
ってなる瞬間でした。
あと、この後に放送時間が変わるという告知があったんです。
18時半スタートになるので、
三村さん「サザエさんを倒す!」
大竹さん「共存だよ、共存。余計な事を言うんじゃないよ、もう。」
と掛け合いもありました。
たまにモヤさまの中でサザエさんの歌うたったり、ネタにしたりしてるんですよ。
「あんまりサザエさんの話するとチャンネル変えられちゃうから!」
ってツッコミながら。
それもまたおもしろし。